「 逝去 」一覧

ミッフィーでお馴染みの作家 ディック・ブルーナさん逝去(享年89歳)

ウサギのキャラクター「ミッフィー」の生みの親の絵本作家・グラフィックデザイナーのディック・ブルーナ氏が2017年2月16日(現地時間)、故郷であるオランダのユトレヒトで亡くなった。ミッフィーのオフィシャルサイトが17日、発表した。89歳だった。

ブルーナ氏は1927年生まれで、デザイナーとして活躍した後、53年に絵本作家としてデビュー。60年のキャリアの中で、124冊の絵本を手掛けた。55年に発表したミッフィー(原題ナインチェ・プラウス)シリーズは、現在では50か国語以上に翻訳され、世界中で8500万部以上発行されている。2015年にはミッフィー誕生60周年が記念され、展覧会も開かれた。


漫画家 谷口ジローさん逝去(享年69)

「『坊っちゃん』の時代」や「孤独のグルメ」などの作品で知られる漫画家の谷口ジロー(たにぐち・じろー、本名・谷口治郎=たにぐち・じろう)さんが11日、死去した。69歳。葬儀は家族のみで営む。
鳥取市出身。京都の洋品卸会社に勤めた後、漫画家を志して上京。24歳の時、「嗄(か)れた部屋」でデビューした。繊細な描線と墨を使わずに表現する独特な陰影が持ち味で、普通の人の日常を描いた大人向けの作品が多い。作家の関川夏央さんとコンビを組んだ「『坊っちゃん』の時代」では、日本漫画家協会賞優秀賞や手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞、代表作の一つとなった。また、久住昌之さん原作の「孤独のグルメ」は、輸入雑貨商の主人公が街角の食堂で一人もくもくと食事をする姿が人気を博し、テレビドラマにもなった。フランスをはじめ海外でも高い支持を得ており、2011年には仏芸術文化勲章「シュバリエ」を受章している。


俳優 おヒョイさんこと藤村俊二さん逝去(享年82歳)

「おヒョイさん」の愛称で親しまれた俳優の藤村俊二さんが1月25日、心不全のため死去した。82歳。神奈川県鎌倉市出身。体調不良のため、2015年10月で日本テレビ系「ぶらり途中下車の旅」のナレーションを降りてから療養生活を送っていた。

軽妙な味で多くのファンに愛された「おヒョイさん」が静かに逝った。11年10月から担当し、好評を博した「ぶらり…」を降板する際、長男で所属事務所の代表を務める亜実さんは「どこかが悪いというわけではないが、“思うように仕事が出来ないまま、皆さまの前に姿を見せたくない”と言っている」と説明。原因不明の体調不良で、一昨年10月末から入退院を繰り返していた。

実父は東京・有楽町の映画館スバル座やオリオン座などを持っていたスバル興業の社長だった。藤村さんは小学校から高校まで暁星学園で学び、演出家を目指して早稲田大学第1文学部演劇学科に入学したものの中退。東宝芸能学校舞踊科に入り直した。

日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧したが、あまりのレベルの高さに自らの限界を痛感して舞踊家の道を断念。帰国して振付師に転向した。ザ・ドリフターズの大人気番組「8時だョ!全員集合」では民謡「北海盆唄」をアレンジしたオープニング「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」を振り付けた。同番組ではエキストラとしての出演も求められたが、これが嫌で「ひょい」と逃げたことから「おヒョイ」のあだ名がついた。

軽妙でとぼけた味が人気で、フジテレビ「なるほどザ・ワールド」、日本テレビ「ゲバゲバ90分」、TBS「ぴったしカン・カン」など、バラエティーやクイズ番組に引っ張りだこ。映画「青春喜劇・ハレンチ学園」(70年)、「喜劇・猪突猛進せよ!!」(71年)や三谷幸喜脚本の「王様のレストラン」(95年)、「古畑任三郎」(96年)などのドラマでも評判を呼んだ。声優やナレーターとしても才能を存分に発揮した。


俳優 松方弘樹さん逝去 享年74歳

俳優の松方弘樹(まつかた・ひろき、本名目黒浩樹=めぐろ・こうじゅ)さんが21日、脳リンパ腫のため死去した。74歳だった。東京都出身。昨年2月に体調不良を訴えて入院していた。東映の時代劇ややくざ映画を中心に活躍したスター俳優だった。

趣味の釣りで300キロ以上の巨大マグロを釣り上げるなど豪快なイメージで知られた松方さんだが、病魔には勝てなかった。回復を願ったファンや関係者の祈りも通じなかった。

所属する「夢グループ」が松方さんに脳腫瘍の可能性があることを報道各社に明かしたのは昨年2月23日。長期療養が必要となるため、出演予定だった同3月1日から6月8日までの「夢コンサート」を降板し、6月からの舞台「遠山の金さんと女ねずみ」を中止すると発表。その後、病名を「脳リンパ腫」と公表していた。懸命な闘病が続いたが、抗がん剤投与の治療中にたびたび脳梗塞を起こし、今年に入って一進一退の状況を続けた。

松方さんは時代劇スター近衛十四郎さんと女優の水川八重子さんの間に長男として誕生。俳優の目黒祐樹(69)は弟だ。歌手志望だったが、明大中野高3年の1960年に東映入りし、同年「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」でいきなりの主演デビュー。その後、スターへの階段を駆け上がり、「昭和残侠伝」シリーズといった任侠映画から「仁義なき戦い」シリーズなどの実録路線、さらに「柳生一族の陰謀」を初めとする大型時代劇で活躍した。その一方、日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ」の笑い上戸キャラで人気を呼び、多くのバラエティー番組でも異彩を放った。

元妻の女優仁科亜季子(63)との間に、タレントの仁科克基(34)と仁科仁美(32)をもうけた。


ピアニスト 中村紘子さん逝去

ショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞し、世界各国のピアノコンクールの審査員も歴任した世界的ピアニスト、中村紘子(なかむら・ひろこ、本名・福田紘子=ふくだ・ひろこ)さんが26日に大腸がんのため死去していたことが28日、分かった。72歳だった。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は夫で作家、庄司薫(しょうじ・かおる=本名・福田章二)氏。

山梨県生まれ、東京・世田谷育ち。指揮者の小澤征爾さんらを輩出した桐朋学園「子供のための音楽教室」で幼児期から学んだ。慶応義塾中等部在学中の昭和34年に日本音楽コンクールで史上最年少で第1位特賞を受賞し、翌35年にはNHK交響楽団初の演奏旅行のソリストに起用された。その後、米ニューヨークのジュリアード音楽院に留学。1965年の第7回ショパンショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞した。

チャイコフスキー国際音楽コンクール、ショパン・コンクールなど数多くの国際コンクールの審査員も歴任。その体験に基づく著書「チャイコフスキー・コンクール」は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

後進の指導にも情熱を注ぎ、平成8年から「浜松国際ピアノアカデミー」を開催。一方、大腸がんの治療のために、平成27年2月から音楽活動を休止したが、同年3月にはステージに復帰。その後は闘病生活を送り、活動休止と復帰を繰り返しながら公演にも励んだ。

今年4月には「日本パデレフスキ協会」の副会長の就任会見で元気な姿を見せていた。

20年に紫綬褒章を受章したほか、国内外での受賞多数。著書に文芸春秋読者賞を受賞した「ピアニストという蛮族がいる」「コンクールでお会いしましょう~名演に飽きた時代の原点~」など。


おいおい、大橋巨泉お亡くなりになられたのかよ!

テレビ番組の司会者として長年活躍し、昭和のテレビ文化をけん引した大橋巨泉さんが、今月12日に入院先の病院で急性呼吸不全のため亡くなりました。82歳でした。

大橋巨泉さんは東京都出身で、早稲田大学に在学中からジャズの評論を始め、大学を中退後、放送作家としてテレビの世界に入りました。
昭和40年から民放で放送された深夜のワイドショー番組「11PM」で初めて司会を務め、番組の顔として20年以上にわたって活躍しました。
また、人気クイズ番組やバラエティー番組などの司会にも抜てきされ、競馬やマージャンなどの娯楽を積極的に取り上げたほか、じょう舌で機転の効いたコメントや幅広い知識を基にした評論が人気を集めました。
昭和44年には、万年筆のテレビコマーシャルの出演で「ハッパふみふみ」という流行語を生み出したほか、政治的な発言や著書でも注目されました。
平成2年には56歳ですべてのテレビ番組を降板して「セミ・リタイア」を宣言し、ゴルフやジャズなどで余生を楽しみたいと、1年の大半をオーストラリアやカナダなど海外で過ごしていました。
また平成13年には、参議院選挙に当時の民主党から立候補し当選しましたが、「フリーな立場でものを言いたい」として半年足らずで辞職しました。
所属事務所などによりますと、大橋さんは、平成17年に胃がんの手術を受けたほか、3年前には中咽頭がんと診断され、その後手術と放射線治療を受けていました。さらに去年の秋に腸閉塞の手術を2回受け、ことし4月には体調が悪化して、一時的に意識を失い、緊急入院したということです。
6月には22年にわたって連載してきた雑誌のコラムを終了し、最終回には「これ以上の体力も気力もありません。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい」と記していました。
大橋さんは千葉県内の入院先の病院で治療を続けてきましたが、今月12日、急性呼吸不全のため亡くなったということです。

[大橋巨泉の遺言]http://lite-ra.com/2016/07/post-2432.html


声優 水谷優子さん、乳がんで逝去(享年51歳)

フジテレビの人気アニメ『ちびまる子ちゃん』のお姉ちゃん(さくらさきこ)役などで知られる、声優の水谷優子さんが17日、乳がんのため死去した。51歳だった。所属事務所が19日公式サイトで発表した。

また同日『ちびまる子ちゃん』の公式サイトでは、原作者のさくらももこ氏とキャストおよびスタッフ一同のコメントを掲載。「平成2年の初回放送から長きにわたりお姉ちゃんの声をえんじていただき、『ちびまる子ちゃん』を楽しく盛り上げていただいておりました。ここに哀悼の意を表し、心からのご冥福をお祈り申し上げます」とつづられている。

なお、フジテレビによると今週(22日)と来週(29日)の放送分は収録済み。後任については後日発表としている。

水谷さんは『ちびまる子ちゃん』のほか、『機動戦士Zガンダム』『スーパーロボット大戦』、『ブラック・ジャック』のピノコ、『犬夜叉』の蒼天など数々の声を担当していた。


喪黒福造・ハクション大魔王…声優 大平透さん逝去

アニメ「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造の声や洋画の吹き替えなどで活躍した声優の大平透(おおひら・とおる)さんが12日、亡くなった。86歳だった。

東京都出身。ラジオアナウンサーとして活動を始め、1956年、米国のテレビ映画「スーパーマン」でスーパーマンの声を担当。字幕から切り替わったばかりの生吹き替えに苦労しながらも、魅力的な低音で一躍人気者となった。「おはようフェルプス君」で始まる「スパイ大作戦」の指令テープの声や、映画「スター・ウォーズ」のダース・ベイダーの吹き替えも担当した。

アニメでは「おらぁグズラだど」「ハクション大魔王」の主役のほか、米アニメ「ザ・シンプソンズ」のホーマーでも印象を残した。1989年に始まった藤子不二雄(A)原作の「笑ゥせぇるすまん」は、大人向けのアニメとして放送され、喪黒の「ホオーッホッホッホッ」という不気味な高笑いが話題を集めた。そのキャラクターは、近年のウーロン茶のCMにも登場した。


「ゲゲゲの鬼太郎」作者 水木しげるさん逝去

「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」などの人気漫画家で、文化功労者の水木しげる(みずき・しげる、本名・武良茂=むら・しげる)氏が30日、東京都内の病院で死去した。93歳。鳥取県出身。

大正11年、大阪で生まれ、間もなく鳥取県境港市に移った。早くから絵の才能を発揮し、13歳で油絵の個展を開き、新聞の地方版に「天才少年」と紹介された。

高等小学校卒業後、15歳で大阪の石版印刷会社に就職したが2カ月で解雇。美術学校に通った。18年に徴兵され出征し、激戦地ニューブリテン島のラバウル戦線でマラリアを発病、空襲で左腕を失った。

昭和21年に帰国し、昭和26年から「水木しげる」のペンネームで紙芝居作家として出発し、昭和32年に上京。昭和39年、劇画誌「ガロ」の中心作家となり、昭和40年 から「週刊少年マガジン」で「墓場の鬼太郎」を連載、代表作「鬼太郎」シリーズは「ゲゲゲの鬼太郎」と改題、昭和43年にテレビアニメ化されて大ヒットし、世 代を超える人気キャラクターを生んだ。

平成3年、紫綬褒章受章。平成8年、日本漫画家協会賞文部大臣賞、平成10年、児童文化功労賞を受賞。平成15年には、手塚治虫文化賞特別賞と旭日小綬章を受け、平成22年に文化功労者。妻の布枝さんの自伝「ゲゲゲの女房」を原案にして平成22年、同タイトルのNHK連続 テレビ小説が放送され、人気を呼んだ。平成25年6月には『水木しげる漫画大全集』第1期が配本、現在は第2期が刊行されている。


声優 白川澄子さん逝去 享年80歳

アニメ「サザエさん」で中島くん役などを務めていた、声優の白川澄子さんが亡くなっていたことが分かりました。フジテレビが11月27日昼のニュースで報じています。80歳でした。

「サザエさん」中島くん役のほか、「ドラエもん」の出木杉くん役としても有名。そのほか「魔法使いサリー」「オバケのQ太郎」「ゲゲゲの鬼太郎」「ひみつのアッコちゃん」など、アニメ黎明期から現在に至るまで、多くの作品に出演していました。

フジテレビの報道によると、白川さんは11月26日、収録に姿を見せず、関係者が自宅を訪れたところ、亡くなっているのを発見したとのこと。なお今後の「サザエさん」についてフジテレビに聞いたところ、白川さんの声が収録されているのは今週分(11月29日放送)が最後となり、以降については、詳しいことは未定としつつも、「何らかの形で次の方を決めることになると思います」(フジテレビ広報)とのことでした。