皆さんご安心ください。死は平等です。

皆さんご安心ください。死は平等です。万物死すれば皆土に還るだけ。
だから死後の世界で苦しみから開放されたり永遠に苦しまされる、なんてのはありません。
逆に極楽浄土もありません。中間ももちろんありません。輪廻もありません。
だからといって能動的な死を全肯定するわけではありません。人に非ぬ迷惑をかけないようにね。

何も残らないんです。

近代において「神が死んだ」ように、超自然的な現実や信条も朽ち果てるが一途。
そう提唱したニーチェがこれらの根拠を残さず只土に還り、この星の養分となったわけではない。
故人の遺志は確かに我々に宿り生き続ける、しかし魂は存在するのか。魂に自我はあるのか。
肉体滅びて尚、自我は確立するのか。

争点は「魂に自我があるか否か」「自我が実在しながら魂の実在を確立できない矛盾」ではない。
先の時代にて養われてきた超自然的な信条を鑑みるに「自我は循環するか否か」ということ。
我々が求めている価値観が魂そのものにあるのではなく、故人のアイデンティティであることに留意しされたし。

結論を先に述べると、「自我とて肉体と共に滅ぶのみ」。
朽ちた肉体が土に還るように、故人の自我が残した意思主張も我々後世の人間に溶け込み飽和していくだけ。

話を戻す。「神は死んだのか」。もしこの話題がタブーであるのなら、話を変えよう。
スピリチュアルな概念を求める人間の数と、医療科学の進歩が反比例するのはどうしてだろう。
続きはニーチェの著書をざっくり読んでからにしようね。

ではどうして俺が「ニーチェの言質に逃げる」のか、だね。
俺自身が一度肉体精神的に死んだ人間であることと、その上で現実主義に則った「自分の時系列」を見直したからだよ。

以上、無神論者の十円玉からでした。

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