数の暴力が正義だったあの頃から、いま俺がネットに思うこと
「お前の意見は間違ってる。なぜなら、いいねがついてないから」
そんな地獄くさい論理がだ。いつから“正義”になってしまったんだろなー。
1. 2019年の違和感
正直あのころ、Twitter(いまのX)を見てるだけで息が詰まってた。正しい意見、マトモな警鐘ほど、RTされず埋もれていく。 代わりに目立ったんは、「煽る」「叩く」「蹴落とす」そんな投稿ばかり。
正論を言っても「空気読め」「こっちが正義や」と“数”で潰される。 いつからか、ネット上の正義は「共感数」になった。
これ本当に本来の形か??皆が望んだ“価値に価値観が与えられるプロセス”か?????
2. 数の暴力と悪平等
「人気=正義」「ノリ=常識」みたいな風潮が蔓延した。 声のデカいインフルエンサーが「こいつは悪!」と指差せば、 あとはフォロワーたちが一斉に袋叩き。
誰も中身を見ようとせん。 RT数やいいね数でしか判断できん“浅い人間関係”ばかりになった。
ドブネズミの軍団かよw
あれこそ。まさに「数の暴力」だよな。 リアルでやったらいじめ、でもネットでは“正義”の仮面をかぶって通用してしまう。
しかも、目立ちすぎても叩かれる。 頑張ったら「ズルい」とか言われる。
これはまさしく!“悪平等”。
3. “やさしい社会”という名の地獄
ある時期から「やさしい社会にしよう」って流れが出てきた。
でもホンそれやさしいか? 「みんながわかる言葉で」「誰も傷つけないように」「発達障害でも安心して」…… 全部が間違いとは言わんけどさー。
その裏には、「空気に逆らうな」「異物は出ていけ」ってメッセージが混じってんの。必ず。義務みたいにw
やさしさの皮をかぶった同調圧力だわ。 少数派は「配慮される側」やのうて、「我慢せなアカン側」にされてまうんやで!!
4. 今のネットはどうなった?
2020年代に入って、少し風向きが変わってきた。
自分を見つめる「自己理解」や、「メンタルヘルス」「ASD」などの言葉が流行ってる。 発信も「弱さを見せていい」という空気になってきた。
でも、それはそれで“消費”の対象になってないかな?
本気で悩んでる人の言葉より、「共感されやすい弱さ」「バズる病みアピール」がもてはやされる。これがブームの正体。
でね?ここにもまた“数”の魔物がいんの。
5. 声をあげることに意味はあるか?
「どうせ届かへん」「叩かれるくらいなら黙っとこ」
それ、ようわかる。
でも俺さん、それでも書くゾ。 過去に折れそうになって、ネットだけが逃げ場やった。 自分の声を、どこかの誰かに届けたかった。
その気持ちは、今でも消えてねえし、 誰かひとりでも読んでくれたら、それでええわ。
6. これから:俺たちはどう生き抜く?
“数の暴力”に負けへん生き方。 それは、少数派として「自分の声を自分で守る」こと。
誰かに理解されんでもええ。 迎合せんでもええ。 自分のスタイルで、自分のテンポで、ネットを使う。
それが、これからの「サバイブ術」やと俺は思う。
「数」で殴られても、消えへん声があることを証明するために。
俺はこれからも書き続けるからな。



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