福祉を必要とする弱者たちへ

リア充や加害者がリアルで成功し、虐げられていた弱者は落伍者寸前の佇まい。
前者にはいっぱい経験やリソースがあるから、どんなことにもチャレンジできるし成功しやすい。
一方弱者は、牙も手足ももがれて何をするのも怖い状態。こんなんで何かを成せるわけがない。だから失敗し続け隅へ引きこもり続ける。

よくある話だね。
努力して這い上がるのだって体力と精神力が必要だろう。からの
社会は「大人なんだから勝手にやれ」と「さんざ傷めつけておいて」無責任なことを仰るが、広義における「正義」や「福祉」なんてーのは、まさにここに注力させるべきではないのかな。
弱者が弱者を救うことなんて出来ない。傷の舐め合いから偏った性癖を生みかねないからすべきではない。
確かに「愛」はそこにあった。だが一時のみのそれに餓え続け、更に死に苦しませるぐらいなら
何もしないであげたほうがマシというもの。

じゃあ何が必要なの。「守られる権利」「失敗しても立ち直れるためのバックアップ」「根拠と実態のある味方」
うん。自力で自治体まで足を運べば、これらほしい物は十分に与えてくれるだろう。
でも、調べ方がわからなかったら?移動できる手段が何もなかったら。
今までは「助かりたくば、考える葦になれ」と俺は云って回っていた。
出来ないどうしようもない人もいるもんだ。だから救いの手が皆々の近くにあることを「味方たち」は示さねばならない。
近所を回ってお伺いを立てるのは大変だが、近い将来に必ず有効なメソッドが発明される。そこに協力するのもカンファンスするのも大きな助け舟になる。

少し前までは宗教こそが代理手段であったが、弱者からの(金銭以外でも)搾取があって「宗教に利益という概念がある」以上、俺は手を突っ込むべきではないと思う。

「考えること」は自由であり、成約があってはいけない。
あなたの知る世界がもっと自由であり、出来ることをたくさんみつけるために
公共と福祉が存在することを忘れないでほしい。

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