2019年2月25日のTumblrから引用

喧騒からの脱出

去年は随分と騒がしい一年だった。
ツイッターで不心得者どもと闘い交えて、ついさっきまで等身大の自分を投影していたFacebookですら自己主張らしい自己主張を控えざるをえなくなってしまった。
ところで、俺には持論がある。ネットでは誰しもが悪平等であることだ。
例えば、感動的な何かをスピーカー越しに訴えかけたところで、マジョリティの無関心であるそれを切り開く手段がなければそれはただのオナニーでしかあるまい。
半面、己すら知り得ぬ抑圧から我解き放たんと辛辣なイデオロギーに叩き起こされ、集団自殺宜しく頽廃した終末に己が身を投げ落とす様の通りでもある。
以上からして、数の暴力こそが正義たらんそれと化してしまったからだ。
ローマ共和制から続くこのマジョリティの庇護から脱却すべきは今からではなかろうか。
そうでなければ、何らかの数学的な指標が重視されるべく世界の外で生まれた「ペイ・フォワード」という前例は生まれ得なかったからだ。
シビアたるメディアそのものに感情移入は無用だが、そこからシンパシーを得た我々がさらなる何かを紡ぐに至り、子供が触れても怪我をしない程度の安全は守って「あげる」べき。

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