ルールって、誰が決めたん?──庶民が従いすぎた世界で
深夜0時過ぎ、酔いが少し覚めてふと思った。
「ルールって、誰が決めたんやろ?」
子どもの頃から「守りなさい」と教えられてきたけど、 大人になって気づいた。多くのルールは、誰かの都合で作られとる。
ルールって、“空気”が文字になったもんや
「会議中は静かに」「敬語使いましょう」──こういうのもルールや。
でも、もともと文字になってたわけやない。 “空気”を誰かが書き起こしただけや。
空気読まんと怒られる。 ルール守らんと怒られる。 この社会、ちょっと息苦しないか?
正義は主観、ルールは合意。でも、合意って誰とや?
「正義は人それぞれ」やけど、 ルールには「合意がある」と言い切られる。
ほんまか? いつ誰がその合意にサインした? 署名もしてへんのに、なんで従うのが当然やねん。
俺らは守ってるんやない。 最初から取り込まれてるだけちゃうんか。
疑ったら怒られる空気が、一番怖い
「スピード違反は罰金」──これはマシや。 ルールも明確、理由も分かる。
でも、もっと怖いのは、 破っても罰はないけど、疑えば孤立する空気。
- 上司より先に帰るな
- 会議で異論はNG
- 本音を言えば攻撃的
誰が決めたんや、それ。 疑うことすら許されんのか。
“こうしなさい”の裏にある排除の構造
ルールって響きはええけど、 裏には「従わない奴は切り捨てる」仕組みがある。
そう気づいたとき、思ったんや。
「これ自由とちゃう。」
自由とは「選べること」やない。 「選べると信じられること」や。
その信じる自由さえ、奪われとる。
結局、自分がルールになるしかない
じゃあ、どうする? 答えは一つ。
自分で考えて、自分のルールを持つこと。
人と違ってもええ。 従わなくてもええ。 でも、他人の自由も認めること。
それができたら、 ほんまの意味で自由な社会に一歩近づける気がする。
……とまあ、飲み屋の隅っこで、 湯気の立つ熱燗をすすりながら、そんなことを考えてたんや。
それが今の、俺なりのルールや。
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