自由って、誰に許されてん??──“好きにすればいい”が許されへん社会で
目が覚めて思った。
「自由って、誰に許されてんねやろ?」
「好きにしたらいいやん」と言われるたびに、なんか引っかかる。それって本物の自由なん??
許されることでしか、自由は名乗れんのか?
選ぼうとすれば「やめとけ」と言われ、選んだら「自己責任やぞ」と突き放される。
自由って、“他人に許されたときだけ成立する”もんなんやろか。
「好きにしていい」は、放棄のサイン?
「好きにしていいよ」──あれ、ほんまに優しさか? 実際には「結果はお前持ちな」っていう距離感を感じる。
ほんまの自由には、信頼が要るはずやのにな。
自由に見えるけど、選ばれへん理由
選択肢はあっても、「親が悲しむ」「世間体が悪い」と言われた瞬間に、もう自由やない。
「選べる状態」より、「選んでもええと思える空気」がないと、意味がないんや。
許される自由だけが正解なんか?
大企業で働く、家を買う、常識の中で“自由に”動く──それだけが「OK」な自由になってへんか?
それ以外を選ぶと、「それ大丈夫?」「失敗したら知らんで」って言われる。
それって、自由ちゃうやろ。
自由には、覚悟が要る
ほんまの自由ってのは、誰にも許されんでも「これが俺の選択や」と言えることや。
当然、孤独もある。でもその先にしか、「自分の人生」はない。
まとめ:今日も、自分のルールで選ぶだけや
自由は、与えられるもんやない。
「自分で選ぶ」と決めた瞬間から始まる。
許されることを待たんでもええ。 今日も、自分で決めて、自分で動く。
それが、俺の自由や。
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