ポルノとて、性的なそれだけではないと前もって申し上げる。
本来のポルノとは、猥褻であること。ではどう猥褻であるのか。
とある障害者ジャーナリストが広めたワードに「感動ポルノ」なるものがある。
要約すると、「お涙頂戴エピソードで安く感動を買える様」と「手短な夜のおかずで性欲を簡単に満たす様」をかけた故に誕生したワードだろう。
まさしく、ポルノグラフィたるファクターを上手に切り抜き、新しい概念を切に「卑しさを残したまま」生み出した善き例である。
本題。今回はポルノをあくまでファクトとして扱う。
それ以上の扱いもそれ以下の扱いもしない。
最近、俺自身いろいろな娯楽に耐性がなくなってきた。
大好きなボリウッド、レガシーな映画、J-POP。これら各々の作品に内包されし感動シーン。特にここに対する受容体が齢を継げ足すに連れ弱くなってきた。
俯瞰して以下の事柄に気づいてしまった。
「俺はハートウォーミングを求めすぎているのではないか?」
「欲求に対して急きすぎではないか?」
ここに先程挙げたファクトたる「ポルノ」を出来上がったプロセスの中間に載せると、見事にロードマップとして成してしまったではないか。
結論からして、俺はポルノに毒されているに至る。
じゃあその何がいけないの?という疑問に答えるならば、
「人間様そんな安くていいのかよ」


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