広告って誰のためにあるん?──“知る権利”が奪われ、“知らされる権利”にすり替わる世界で
序:広告が「敵」に見えてしまった日
ネットを眺めていたある日、ふと思った。
「なんでこんなに広告って、ウザいんやろ」
でもそれは“ウザい”だけやなかった。 なんか、人間の選択そのものを邪魔してる気がしてきたんや。
──あれ? もしかして、広告ってもう「人類の敵」ちゃうか?
広告って、誰のためにあるんや?
建前では「便利な情報をお届け」って言うやん。 せやけど現実は?
- 売りたい企業
- 広告代理店
- 広告を出したことによる数字を見せたい偉いさん
……つまり、“受け手のため”に作られてない広告が大半ってことや。
じゃあその情報、本当に必要なんか? ほんまに、誰かの人生を良くしてるんか?
「知る権利」と「知らされる義務」はちゃうで
俺たちは「知る権利」がある。 でも広告は、その逆の発想や。
「これを知らないと損するで」 「これが今流行ってるんやで」 「買わな遅れるで」
──“知らされる義務”を押しつけられてるんや。
その境界がボケてきた今、 情報の主体は「自分」やなくて「広告主」になってもうてる。
広告が人間の選択を操作してる構造
広告って、見せ方が巧妙や。
- 欲望を煽る(理想のライフスタイル)
- 不安を煽る(今のままじゃヤバい)
- 比較させる(AよりBが優れてる)
- 体験談で共感を引き出す(インフルエンサー)
これって、もう「情報」やなくて心理操作やん。
気づかないうちに、“買わされる選択肢”しか見えてへんようになってる。
さらに最近は、クーポン・期間限定・数量限定など、 「お得に見せることで行動を急がせる」仕掛けが多すぎる。
──考える前に“買わせる”構造。 まさに、現代のサブリミナルやで。
情報弱者は“カモ”やなくて“標的”や
かつては、テレビCMやチラシが「一斉砲撃」やった。 今はアルゴリズムが、個人の好み・弱点・悩みを丸裸にして撃ち込んでくる。
これはもう、狩りや。しかもサイレントスナイパー。
情報弱者は、“選べない人”じゃない。 「広告に選ばれてしまった人」なんや。
SNSや動画アプリに張りついてる子供たちに、 「無料ゲームでちょい見せ」「ご褒美アイテムでスキップ不可」──
あれ全部、ガチでヤバい洗脳やと思う。
本来の「知らせる」はどこ行った?
ほんまの広告って、「知ってよかった」と思える情報のはずや。 でも今の広告って、ほとんどが「煽る」か「誘導する」かや。
情報と宣伝の境界線は、SNSとYouTubeで完全に崩壊した。
“広告じゃない風の広告”が一番タチ悪い。 それ、嘘つきより厄介やで。
広告の裏にある支配構造
広告って、情報を届けるツールやけど、 いつの間にか「消費者の行動をコントロールする装置」になってしもた。
・知らずに欲しくなってる ・買わないと不安になる ・知らん間に欲望の補助線が引かれてる
──これはもう、欲望のハンドルを他人に預けてるようなもんや。
さらに、企業や国家レベルで広告が使われると、 「国民感情の誘導」や「購買データによる思想判別」まで現実味を帯びる。
つまり、広告とは「金儲け」以上に、 “人の判断力を奪う支配装置”としての側面を持ってるってことや。
まとめ:広告が「敵」でない未来って、どんなもんやろな?
俺は、広告を全部なくせって言いたいわけちゃう。
でも、「知る自由」より「知らされる義務」が勝ってる社会は、やっぱりおかしいと思うんや。
広告が“誰かの都合”でなく、“誰かのため”になればええのにな。
そしたら少しは、広告が敵やなく、 「味方かもな」って思える日が来るかもしれん。
──ま、それまでは「スキップ」押し続けるけどな。
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