『鉛筆じゃないと覚えられない』──そう言い放った家庭が壊れた話

変なルールが当たり前やった家

俺の実家には、ようわからんルールが山ほどあった。中でも象徴的なのが、「勉強するときは鉛筆以外禁止」ってやつや。

理由はシンプルで、「シャーペンは芯が折れるし、字が薄くて頭に入らない」からやと。学校の先生ですらそんなこと言わへんのに、家では絶対の掟。何を使おうが、どんなに字がきれいでも、シャーペンを使っただけで「それじゃダメ!」と一喝されるし罰則もあった。

正直、アホかと思った。

自分のやり方で集中したくても、常に「正しいやり方」でないと怒られる環境。小さな選択の自由すらなかった。

息苦しさ=思考停止と強制の空間

鉛筆だけじゃない。姿勢、食べ方、口の開け方、話すトーン、何から何までルールで縛られてた。

俺は「自分で考える」ってことを奪われて育った。

何かを選ぶのが怖かった。正解以外を選んだら怒られるからな。

いつも家では空気を読んで、母親の顔色を伺って、怒鳴られへんように動く。

気分屋の母親の怒りは突然やってくるから、常に「地雷原」で生きてるようなもんやった。

母の支配、そして家庭の崩壊

その張本人──母親は、最終的に自分で作ったルールの檻に自分が潰された。

金銭的な無理、家族への圧力、自分勝手な正義感。

家庭は崩壊した。

あれだけ「こうでなければならない」って押しつけてきた人間が、 最後は何ひとつ守れずに、家も家族もバラバラにしたんや。

その時、俺は心底思った。

ルールって、人を守るためにあるんちゃうんか。人を壊すためのもんちゃうやろ。

それでも、俺は生きてる

いまの俺は、自分で考えて、自分で動ける。

あの時は苦しかったけど、今は「シャーペン」どころか「キーボード」で文章を綴れる。

親に押しつけられた“正しさ”じゃない、自分の中の“納得”を基準にして生きてる。

少しずつ、あの家で失った「自分の感覚」を取り戻してる。


鉛筆しか許されなかった家で、思考を止められて育った。 でも俺は、シャーペンも選べる大人になった。

俺は、もう縛られへん。

母親の遺骨を抱えるのも嫌やった。

 

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